side・『烏丸』
8
覚醒を自覚した時、俺はいつの間にか外の音をジッと聞いていた。
とりあえず暇つぶしにしたのは思考。内容は何処か仏教じみたもの。
議題は先の教室での赤い天使。『アレは本当に夢だったのだろうか?』
この議題を連想した原因は壁の向こうから来る暴風と雨の音だ。
雨水が溜まり始めたのだろう。もう降ってから大分時間がたつことが予測できる。
その生々しいにおいも妄想にしては到底嗅ぎ慣れたといえないものばかり。
手の指どうしを絡ませ関節を滑らかにする自分の一挙一動におけるまでそれはあの夢と似すぎた感覚。
疑念が少しづつ膨らんでいく。やはりおかしいんだろうコレは。
あの時、俺は夢の中だったと言うのに、一つ一つの自分の動作を明確に意識し、意図し、考えていた。
そんな夢は今まで見たことが無かったし、既に軽く二時間以上あの夢と同じ感覚が継続している。
指し示す事実は一つ。だがそんなものの直視に耐えるほど今の精神状態は健全ではない。
薄ら怖い思想から目を逸らすように感覚が覚醒し始める。
意識がクリアになり、痺れた喉でムリヤリ声を出してみた。惨いだみ声。
「・・・・・・本当に何なんだろう?」
廊下から足音が響いてきたのは、そんな妄想で二度寝が出来ずに呻いていた時だ。
まるで俺の目が覚めることを見透かしていたかのようなタイミング。
数秒もしない内に扉が開き、侵入してきたのは例の優男。
まあこの部屋に入ってくるのはこいつだけだという先入観もあって妙に違和感も無い。
あえて不審点をいうなれば、その手にある果物ナイフぐらいだろう。目は影で隠れてよく見えない。
入室と同時にソレがきょろきょろと部屋を見渡す。服装はキモイと思わず思ってしまうド派手な格好だ。
謎の紅い塗料で嫌に目立つ。ペンキでもこぼしたんだろうか?野戦病院にでも出てきそうな姿かたち。
もともと髪がぼさぼさだった所為で、廃退的な現在の格好の方が違和感少なかった。
これは半分ほど偏見だと自分でも思う。まあ改める気は無いけれど。
「先生?」
意識の完全覚醒、入室から跳んで二十秒強。
その優男は結局、腕をダランとしながらキョロキョロとして、今だこちらへのリアクションをしてこない。
右手に持った果物ナイフが妙に目立ってそれがまた不気味。何の用だろう?早く終わらせて一人になりたい気分だ。
そう怪訝な顔をしたところでようやく彼は部屋を見渡すのを止め、こちらへと動き出す。
流れるような動作。スタスタとごく自然に歩み寄り刃物をかざす。その様は人体構造の理にかなっていて実に無骨。
関節を掴まれ、抵抗を封じられる。力が入りにくい。一気に自分が無力になったようでちょっと不思議な感覚。
喉元に突きつけられたのはナイフ。
別に俺の運動神経が悪いわけでも無いのに金属の冷たさを感知するまで反応できなかった。
数秒の呆け。その後悲鳴。行動が遅い。薬の影響が抜けきってないのか?
愚鈍極まる。ナメクジかナマコか俺は?昆虫だってもっと危機感知能力があるだろうに。
「・・・・・・・・っ!?」
「・・・・・・・抵抗するな。おとなしくしろ」
ふと気がつけば、体の自由が利かず喉元にナイフが付きつけられた現在の状態。
マジでくたばる五秒前。尿意と恐怖で足がくがく。この期に及んでも目の前の情景に何処か現実感がもてない。
さっきの疑問でただ一つだけわかった事はコレが夢だろうが現だろうが不快には変わりないということだけ。
とりあえず一途の望みを託し質問をする。『何故こんなことをするんだ?』
冗談だと言うアンサーが帰ってきたらソレはソレでかなりうれしい。でも多分コレは本気だろう。
疲れているとはいえ、何故さっさと逃げ出さなかったんだろうか?相も変わらず自己嫌悪。
「っな!!なんですか!?」
「紳士のフリでももう少ししてほしかったのか?もう少し現実を把握しなよ」
(ああ、そうですね。まったくですよ)
今思えばスタンガンの記憶があったのに彼らを医者だと思い込んでしまったあたりからもう駄目だ。
嫌な事から目をそらしたがるのは人間心理故だろう。精神的に脆弱なのも此処まで来ると考え物。
始めからわかっていたはずなのに『医者だったら良いな』なんて、少しでも思ってしまうからこうなった。
信じたいことだけ信じるってどんだけ馬鹿なんだろう?まるで機械みたいに単純すぎる。
案外自分もカルト宗教に弱いのかもしれない。宗教の本質はそういうのが多いから。
募るのは自分自身への苛立ち。この病院で覚醒してからは既に現在数時間以上経っていた。
もう外は真っ暗闇の深夜だ。それだけ時間が有れば何かリアクションが取れたんじゃないか?そう思うも後の祭り。
実際に彼らが本当に悪人だった以上『逃がさない』処置は、まあ勿論していたんだろう。
あるのは唯、飼われた家畜みたいに情報を鵜呑みにしてしまった怒り。自分自身への腹立ち。
自分の間抜けさからか?彼らへの怒りはこの時点であまり沸かない。
「ついてこい」
「わかったから其のナイフ下ろしてよ」
塩化ビニールの床に冷たい冷気を感じつつ素足でソレに立ち上がる。
後ろの男が命じる前にそうしてしまったのは多分死への恐怖ゆえだ。
恐怖心に急かされるように開けたドアの先は墨汁のように真っ黒。
長い通路からは立て付けが悪いのか?外からの向かい風が病室以上に吹いている。
ちなみに『外から』というのは湿気と臭いからの想像だ。此処からじゃあ詳しい様子は良くわからない。
もしコレが院内からの臭気ならば、もっと不快な臭いがしただろう。想像の根拠はそこら辺。
此処まで過敏だと臭いの元をリアルに想像してしまうから嫌だ。コレは多分腐った水の臭い。
どうしてこんな事になるんだろう?『小さな日常』以外には何も高望みをした覚えもないのだが?
『自身の善心が幸福に直結するわけでも無い』そう理屈ではわかっている以上、コレは多分感情の違和感だ。
脳が早合点していたのか?走馬灯とまでは行かないものの過去の記憶がリフレインされる。
廊下は窓沿いで、かつそれが海を向いた方面だったりしたので、色々とセンチメンタルな気分。
塩のにおい。この病院はあの有名な海辺の廃病院か?
窓が風でガタガタと言う。暴風でガラスが割れていないのがなんだか不思議。
さっきまで雨が降っていたのだろう。窓には大量の水滴が付いていた。
先の白昼夢も重なって其れに嫌なイメージしか湧かない。湧きようが無い。
脳裏に有るのはまるで町が血塗られているかのような、そんな不吉な想像。
それらの根源はおそらく『天使の偶像』。細かいところは曖昧だ。嫌な事は忘れるに限る。
「・・・・・・そのドアを開けろ」
ボーっと押されるまま歩いていたらいつのまにか目的地に着いていたのだろう。目の前には木造のドア。
何をやらせるつもりなのか?疑問符を浮かべていたところだし。やることが分かって少しホッとする。
爆弾抱えて神風アタックでも強要されたらどうしようかと思って居た。まあ流石にそんなことは無かったようだ。
ドアは取っ手のみが金属製で、やはり手垢と腐食跡が残っている。嫌悪感が思わず顔に出るがまあ仕方が無い。
『そうしないと俺は殺されるんだから』そう潔癖症を押さえ込むのも、二度目と成るとまあまあ手馴れた感じ。
「なんでそんなに俺から離れてるんすか?」
「うるさい。さっさとしろ」
気になった事を思わず質問すると怒鳴られる。優男はいつのまにやら角の向こう側に隠れていた。
まるで何かに脅えたようにこちらの動向をうかがっているのは何故だろう?こちらを伺う目はまるで昆虫のようである。
心中にある理由のわからない怒り。なんかムカつく。まあ相手悪人だし、遠慮が無くなってる感も否めない。
とりあえず深く考えずにドアを開けて、俺の眼前に有ったのは、ただバラバラにはじけた焦げ目のついた『死体』
直ぐにしたのは苦笑。悪人に拉致された時点で死体に其処までのショックは受けない。ある程度覚悟していた。
あの男はコレを恐れていたのだろうか?いや、流石にソレは無いだろう。死体を恐れるテロリストなんてありえない。
とにかく奴さんの怖がり様から恐怖があった分、呆けが後からくる。それを意味するリアクションを俺の体は無意識にやった。
「・・・・・はぁ」
見れば反対側のドアが黒く焦げてる。死体があるということはこの病院は戦場になっているということだろうか?
バラバラに弾けた死体は今だ焦げ臭く、暖かい残り火すら少しあった。ステーキで言うならブルーとレアの中間だ。
見ればここは職員用の連絡路にでもなっているのか?狭い小部屋にいくつもの入り口が重なった構造になっている。
此処がちょうど館と館を結ぶエリアなのだろう。その思考も例のごとく想像。
見れば第一病棟と書かれたプレートが焦げつつも近くのコンクリート壁に突き刺さっていた。
ソレと煤だけが死体を燃やした爆発を表している。天井も壁も丈夫なものなのか崩れてはいない。
自分が開いた木造のドアにはそもそも爆発の影響がたどり着いて無い感じ。
この館の木造と小部屋のコンクリートがミスマッチしてて気持ち悪い。
『本館』と『第三病棟』と書かれたドアがそれぞれあることからここは第二病棟だったんだろう。
この建物も結局どんな構造なんだろうか?この小部屋から全体像を想像することすら出来ない。
惨く歪なつくりだ。迷路みたいで嫌になる。こういう建物に入ると生き物の体内に居るみたいで不思議な感じ。
もっとも気になったのは、すぐ横の本館ドアにくくられた『奇妙な仕掛け』。なんだろう此れ。まるで爆だ・・・・・。
「よくやったな。先にいくぞ」
「・・・・ちょっとまてよ」
いい加減目を逸らしてきたその違和感にようやく気が付いた。
つーか俺馬鹿なんじゃないか?ここまでこないと状況が理解できないなんてアホの子じゃあるまいし。
無意識に現実逃避でもしていたんだろうか?普通に死体怖いですよ。なにスルーしてんの?俺。
『ホントにもう、此処まで来たら怒ってもいいよな。感情論での独善でも無いし』自分自身に自問する。
見事に理性がぶっ飛んだ。そこに人間的、理性的な『怒り』は無い。
題をつけるなら攻撃性。あるいは生存本能とでも言うべきだろうか?
『おちゃらけた』普段のイメージが殻にこもった。砕いて言うならパニック状態。逆切れ。空元気。
まあ感情の源泉として、とりあえず自分が思った事は。
――――――俺が身代わりにされかけたという事。
唐突に気が付いてしまったのはソレ。『コレはトラップだ』『俺はコレへの地雷犬だ』そういった最悪の状況。
ああ畜生!この世は悪意に満ちてやがる。なんで俺は不幸なんだ。
自分でこう言うのにもアブノーマルな快楽すら感じてしまう。ナルシストになったらどうするつもりだ。
やめた。何やってるんだろう?錯乱が惨い。自分に酔った思考は自粛しないとキャラが壊れる。
「ふッざけんなよぉ。何漫画みたいなベタな事黙ってやらせてんのさ」
「・・・・・・別にふざけてやっているわけでもない。先、進むぞ」
感じが変わったのを敏感に察知したのか?少し脅えて威圧するように優男が返事を返した。
俺の語尾も震えていて何となく情けなかったが、奴さんも似たり寄ったりな感じ。
あれ?おかしいな。何で俺こんなことしてるんだろう?少し涙出てきた。
正気に戻ったら後の祭り。こうなりゃやけっぱちだ。さらに感情に身を任せ、言葉をつづる。口の中がねばねばして気持ち悪い。
寝起きはいつもこうなんだ。ああ、早く口を洗いたい。少々ナチュラルハイになって思考がテンパってくる。
脳内ではアドレナリンの洪水。脳の前側が機能不全を起こす。自分勝手な独自理論が交錯して頭が面白おかしい。
コイツに弱者の精神とやらを植えつけてやりたい。皮を剥いで動けなくすればコイツだって嫌でも判るだろう。
この馬鹿を生み出した周囲も其れを許容するほどに愚かなのか?親の顔が見てみたいとはよく言ったものだ。
馬鹿をする恐怖なんて躾けられれば犬でも覚える。想像の中で五感を全て潰し傷口に塩をまいた。泣き叫ぶ姿が目に浮かぶ。
痛覚すらないはずなのに痛がってる事に関してはとりあえずあまり考えないほうがいいのだろう。想像は矛盾だらけで感情的。
「――――餓鬼相手にみっともないんだよ!テメェで何とかすればいいじゃないか!?」
「出来るんならとっくにやってる。いいからさっさと先に行けって言ってんだろ」
会話の雲行きに妙なものを感じたのか?無視すれば良いものを上手く話に乗ってきた。
ただの罵声ではなく明確な拒絶だと気が付いたからだろう。何処かカチンとした顔。
吐き出すように叫ぶ内容は幼稚で我侭なものだ。それだけ彼も追い詰められていた事が良くわかる。
だがあいにく俺もそこまで善人じゃないし逝かれても無い。故に同情も哀れみもしない。
「てめえの理屈なんてどうでもいいんだよ。兎も角俺はこれ以上付き合う気は無いからな!」
「いい加減ふざけろよこのクソ餓鬼。・・・・・時間が無いんだ。駄々なら後で聞いてやるから」
軽く開いた近くの窓からビュウビュウと風が吹いていた。
お約束な展開だ。これじゃあまるでホラー映画のようだと少し思う。
ついで威嚇。押し付けられる金属の冷たさ。恐怖心が本来出るであろう脅し。
ぶっちゃけ泣きそうです。でも爆弾のほうが単純にもっと怖いだけです。
普段ならこんな芸当出来ないだろうが、死に挟まれた状況が物を言わせた。
言葉がだんだん荒げられる。これは自然な反応なのか?あるいは今日だけ特別なのか?
こうやって判りやすい悪に飛びつく外罰性はあえて考えないようにする。
なにかしら理由を付けて思考を停止させる度し難さ。魔女狩り、差別、偏見、迫害。それらの根源ともいうべきソレ。
でも偶にはいいじゃない。人間だもの。便利な言葉で自己弁護。
「終われば逃がしてやるって言ってんだろ。本気で刺すぞ。」
「刺されなくったって進めば十中八九死ぬじゃねぇか!何考えてんの?てめぇ」
頭に血が上って、とうとう歯の根が鳴くのが収まった。
正気で見れば自分でもドン引きするであろう独善が脳内を駆け巡る。自分が自分でなくなる感覚。
他人の蔑視は劣等感とコンプレックスの裏返しかもしれない。ホント死にたい。思考が少々支離滅裂。
奴さんは相も変わらず見下した目でさりげなく俺の右腕を掴んでくる。こっちの話など聞く気も無いという意思表示。
まあわかっていた結果だ。其処まで期待して無い。この行動は半分意地だ。自分でも意味が無いと思う。
そのやり方がお前の宗教かよ?利己主義に染まりきったチンピラと変わらないエゴイスト。
コイツの理屈に欠片でも共感しちまう自分が嫌になる。まあ誰だって自分は大事だろうけど。
「ああクソ!馬鹿にしやがって!離せよ!離せ離せ離せ!」
「行き成りキレるなよ。大声を出すな。・・・・・ああ、これだから馬鹿餓鬼は」
『馬鹿餓鬼』か。ずいぶんとおとなしい悪態だが顔が険しい。相手の理性も切れ掛かってるみたいだ。もう泣いて良い?
こっちを掴んでいる相手の腕を左腕で必死に引き剥がそうとしてみる。でも奴さんの力は予想以上に大きいみたい。
ああ、今までの我慢が全部無駄になるなんて心底理不尽だ。コレだから死に際って嫌。イライラする。
冷静な部分はソレとは逆にヒートダウン。
自分も自分で鈴鹿には個人主義を気取っていたのに、都合が悪くなると集団主義気取るのはなんともがな。
まあ情緒不安定はいつもの事だからどうでもいい。俺自身馬鹿だし仕方ない。弱さは何時も俺の免罪符。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
さっきから気になっていたのは俺が大声を上げるたび怯えるように怯むコイツの反応だ。
性格からして俺を恐れてのことじゃないだろう。つまりコイツは何か恐ろしいものを警戒しているという事。
胸倉を掴んだあたりでソレに気が付いてしまったものだから思わずなんともいえない顔をして口を噤む。
もう嫌だ。こんな空気二度とゴメンだ。
裁判でかち合ったら、あることないこと言いまくって死刑にしてやる絶対に。
ガタガタと静寂の中で窓の音だけが響いている。
若干不安そうな顔をした奴さんと俺の視線が交差した。にらみ合いは大体数秒。なおも恐怖は怒りが抑制中。
始めから死んだ気であれば何処まででもイッちまえるとはよく言ったもの。空元気ってのも中々捨てたものではない。
意を決してもう一度発声を。この『間』が次の言葉を捜していたかのようでちょっと間抜け。
「・・・・・何でもいいから離してくれよ」
意を決した発声は芽が出たばかりの不安の原因に遮られた。
より詳しく表現するならば『俺の声から言葉が消えた』だろうか?いや、消えると言うのも表現として正しくないかもしれない。
会話の途中に割り込んできた『ソレ』に口を閉ざされたというのがもっとも近いと思う。口に埃が入り込んで粉っぽい。
『上から来た瓦礫』が衝撃を運ぶ。天と地が反転したような古典的な音で土砂が崩れ、鉄骨コンクリート其の他もろもろが露になった。
土砂の埃は雪崩のようでその衝撃もまた同様。俺とさっきまで言い争っていた優男がまるで冗談のように俺の前から吹き飛んでいる。
さっきまで彼が居た空間には何もない。俺の内心には恐怖すらない。
足をガクガク震わせて失禁することすら忘れていた。そんな呆け。
いきなりの展開に呆然とした俺の脳はリアクションをとりようも無くただただ停止。
ある種の過剰反応、その理由を言っちゃえば、まあ俺自身チキンだったからだと思う。
ついでコンクリートの砂埃。視界は目にある砂利と煙幕で略ゼロか、あるいはソレに本当に近い。
一瞬遅れて、思わず恐怖で叫んだ。しかし其れも瓦礫の轟音でかき消される。
銃弾が頬を掠める感覚。火薬の匂い。病院が一瞬で戦場に様変わり。
『化け物とスナイパーの戦い』。人影は一つしか見えてないのにそう思ったのは何故だろう?
まるで映画のような展開だ。惨い非現実感。ボードゲームを上から見ているような感覚。
『なんなんだろう唐突に?コレが倒壊の原因か?』思考とは裏腹に身を守るという発想は不思議と出てこない。
軽い現実逃避についで、異様な、しかし慣れ親しんだ感覚が俺を襲う。薄っぺらい風景になる俺の視点。
あの夕刻に感じた非現実感。紅い天使を見たときの感覚。ソレが蘇る。世界がソレで染まりはじめる。
「ああ、此れ夢だったんか」
白痴の思考を口に出してみたら、なぜか空気がとても痛かった。
あの天使の偶像も含め、最近は夢か現か幻かが曖昧すぎる。自然と漏れたのはそんな愚痴。
現実逃避のネタができて歓喜する脳とアドレナリンが右足の痛みを消していく。
上からの落下物で出来た煙が漸く晴れ。最後にその原因がはっきりと俺の眼前に。
――――――悪夢の偶像(棺おけの怪物)
side・『烏丸』
9
この状況を非現実と言うべきか現実的と言うべきか。未だ判断に迷う。
ただただありえない状況の筈なのに、双方の流血があるだけでリアルにも見えるから、人間心理の不思議を見る感じだ。
ストレスの有る環境でないとリアルを感じられないというのはどうにもがな。つくづく現実に悲観せざるを得ない。
高速機動で瓦礫の山が多方向からくるくる見える。手を引っ張られ、連れまわされる俺の脚がガクガクいった。
世界が安っぽいハリボテのようで、今にも壊れてしまいそうな錯覚を覚える。ずいぶん過剰な錯覚。
視界のブレで出来た瓦礫の影がススキ畑を象ってるようにも思えた。紅い天使と同じ物事の捉え方。
あの夢の地平線に見えた黒い腕にどこかソレが重なって見える。ただおぞましさと無機質感で感じる印象は全然違う。
あの悪夢と現実が入れ混じる感覚。否、正しくは悪夢に現実が入り乱れる感覚か。
夢ならばこそ、見たいものだけを何で見れないのか?頭の中ですら自由にならない。
それが又むやみやたらムカついて。路地裏の反吐のような『言いようの無い魔』をどこか思い出す。
根源は多分なんともいえない不安感。やっぱり先のテロリストが尾を引いてる。
ガラスの欠片が切った化け物の肌は肌色とも灰色とも付かない奇妙な色をしていた。
血を流し傷つくという『それ』に人間臭さを感じる俺もどこかズレているのだろうか?
自分の素足も切っているのに他人への興味が先に行くのも何故だろう?
こんなにも自分以外へ思いが向くのも久しぶりだ。痛みはあるが現実感がしない。
弾丸は棺おけの怪物が出て以来、ずっと俺たちを狙ってもいた。
一撃で此方をしとめられないソレは非常に間抜けな二流なのか?
あるいは遠距離から高速機動について来れる分、荒削りな一流なのか?
確か狙撃ってワンショットワンキルが基本じゃなかったっけ?そんな意味のない思考もポツポツと。
「大丈夫か?」
「・・・・・・・・・」
返答に棺おけの怪物は声を使わない。ただ時々濁声と軽いジェスチャーで意思表示をしてくる。
奴さんの足のほうで筋が切れかのような音がした。でも首で大丈夫とのジェスチャーと返すので、ソレはそのまま放って置く。
『夢の住人だし其処までお膳立てすることも無いか』そんないいかげんな妥協と無関心も自然にわいてきた。
ついで頭上に銃弾。たしかこれで32発目だったか?
もうブービートラップの囮にされてから短くても三分以上は経っているだろう。
時間の感覚が無いのだけは、あの夢と同じだ。
共通点を見つけたら如何せん両者を比べてしまう。
教室でみたファンタスッティックな情景と、今のリアルな情景との差異に少し混乱もしてくる。
「コイツ狙撃下手糞だなぁ」
銃弾が飛び交う。スナイパーが何処からか狙う。
唯一すごいのはその狙撃手が未だ自分の位置を晒さないことだろう。
敵の狙撃を棺おけの怪物が吹き飛ばした。『本当にリアルな夢だ』跳弾の音で再確認。
ただ風を切るたびに血肉が温かく思えるのは何とかしたい。
先の残り火といい。温度変化やら音までリアルに妄想するとはなかなか凝った内容だ。
アクション映画なんかで、こういう情景を見ても違和感が無いかもしれない。
あるいは『昔見た映画の情景にあわせて』夢と感覚が動いているのか?
まあどちらにせよ、こう言う思考はパラドクスで、かつ何処までも意味は無いものだ。
左手が上がり奴さんの背中の骨が動いた。ヤニに染まったぼろい天井。それが怪物のグレネードで崩れ去る。
落ちてきたのはコンクリート少々と鉄筋の破片。ソレを器用に避けきり、見ると居たのは敵が一名。
よくもまあ天井の向こうから位置が判るなと思う暇も無い。躊躇無く頭を踏み潰すその右足は柘榴のように真っ赤に染まった。
血は俺にかかることが無い。ただその音は妙に耳に残る。まるで蛙が潰れるような間抜けな音。
「早く終われや・・・・・こんな夢」
虚脱感で自分がデスゾーンにいるという恐怖はまったくといっていいほど無かった。
いや、夢だからこそ耐えられたというべきだろうか?現実だったら俺に其処までの度胸は無い。
もしもコレがリアルだったら俺は確実にこんな化け物の存在を許容できなかっただろう。
長い廊下も漸く終わりそうだ。本当に長いのかは微妙。夢特有の曖昧な感覚でよくわからない。
此れも後どのぐらい続くんだろうか?
もし寝言で、この内容を漏らしていたらどうしよう?
アレはアレで虫唾が走るやつだが唯一の友人だ。いっそ死にたい。そうすれば軽蔑されずに済む。
万が一にも鈴鹿に知られたらと思うとゾッとする。自分の腐った精神は何が何でも知られたくはない。
一瞬の間。銃声の響かない静寂が訪れた。その時間を利用しドアをぶち破る。
眼前に開けた空間が広がった。その後、脳は目の前の光景を確認。
その間は大体1秒弱。馬鹿な俺にしてみたら結構早い判断。
思考の結論は奥行き十メートル弱、広さがおおよそ其の程度のテラス。
窓の外が暗すぎて床とベランダとの境界線がはっきりしない。何処かゾォっとするものを感じさせる。
RPGあたりだとイベントシーンでも起こりそうだ。嫌な予感。背筋に有るのは嫌な汗と寒気。
とりあえずジーザスはこの糞みたいな悪夢を終わらせてくれ。礼拝のとき1ドル寄付しただろうが。この木偶の坊。
「今度は暗い海か」
「・・・・・・・・・」
目の前にはただガラス越しに海が広がっている。ザザンザザンという波の音。
それは平常時の心臓のリズムに近く。不思議と恐怖を抱かせる。
上下左右前後。其処に見えるルートは前門のガラス窓と後門の元来た道のみ。
それでもなお棺おけの怪物は前進する。熱病にかかった狂信者のようにも思えてそれが何処か不気味。
安直で愚直な動きがスナイパーの餌食にならないわけも無く。化け物の右腕が削られる。痛みを知らぬような歪な進軍。
一応後ろの俺への配慮もあるのだろう。着弾のたびに体をそらしはしたが。しかしソレにも保身が見えない。
怪物の左足がスナイパーの銃弾でふっ飛びかける。肉が消し飛び骨だけで支えられる自重。そして漸く窓際にたどり着き。
―――――ソレは俺ごとテラスから飛び降りた。
「っは?」
唐突でパニックになる暇さえない。意識自体が一瞬白痴。
冷静に考えてみたらパニックにすらならないなんてどんな呆けだろう?神経が働いて無いんじゃないか?
なんと言うか俺もなんだか脳が駄目だ。予想以上に混乱している。ファミコンで円周率計算したみたいにガタガタ。
『俺は自由だ』崖の上。上空数十メートルの上で何故か唐突にそう閃く。どんな哲学思想だ?相当ヤヴァイ。
多分先の悪夢と自由度を比べているんだろうがそれでも突拍子がなさ過ぎる。なんだか最近は内側と外側の境界線が曖昧気味。
認識範囲の広大さ。地べたを這いずり回っていると到底見えない視点世界だ。
人が空に憧れる理由がわかる気がする。人の営みの矮小さ。其処に堕ちるのが惨く怖い。
いや、ぶっちゃけ間違いなく堕ちて死ぬけどね。リアルならこれはガチで。
まあ夢だから素直に感動しよう。パラシュートなしのスカイダイビング。
スナイパーの弾丸は真横から、なおもしつこくこちらに来た。
上空で踏ん張りも効かない筈なのに俺を尚もかばうとは、怪物の行動にも少々感心もする。
俺を抱きかかえて対ショック体勢をとる棺おけの怪物。不思議だったのは体が直前、軟化したかのように感じられたことで。
意識が現実へと帰還する。
・・・・・・・・・・・・・・イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ。
何で俺生きてんだ?なんかクッションにでもなったのか?潰れた蛙にならないのは嬉しいけどなんか不気味。
生まれてきてごめんなさい。痛いですからやめてください神様。試練にしたって此れはキツ過ぎです。
やめろって。やめろよ。いやホント痛いって。何?この痛み?ありえねぇ。死ぬ。マジで死ぬ。
数分遅れて上のほうで声が聞こえた。『おい下に落ちたぞ回収に回れ』救助に回れとは誰も言わない。
『当然だ。かれらも仲間を殺されたのだ』そう理性で思ってもまるで無機物を相手にするような口調の冷たさが妙に癪に障る。
『いい加減自己中もいいところだな』自分自身、そう思うほどその思考はずうずうしい。王族にでもなった気分。
いい加減展開が理不尽すぎる。何かへの罰だろうかコレは?人生=罰ゲームは自覚してるから追い討ちはやめてください。
そういえば月曜のゴミに燃えないゴミを混ぜてだしたっけ?罪と罰がつりあってないよジーザス。今度はちゃんと仕分けるから。
レ・ミゼラブルだってここまで理不尽な展開じゃない。こうなるともう呪いとしか思えない。
「・・・・・・・・・・・っっ」
ようやく自分の傷口が海水に浸っていることにも気が付けた。
いやな予感が肥大化する。ヌチャリという手の感覚。黒い完全な闇と海。ついで嘔吐と失禁が略同時期に。
何だ!?何なんだ!?コレは夢じゃないのか?一体どっちなんだ!?
気持ち悪い気持ち悪い嘔吐が押さえられない。こんなの正気じゃない。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ一人は怖い一人は怖い。死ぬのは嫌だ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ。
非現実感はまだあった。先の雨がまた弱まり始めたのか?若干生ぬるい霧雨が降り注いでいる。
動くたびに服が濡れた。しかしそれを現実とは少し信じきれない。どこかフィルターを通してみたかのような歪んだ世界。
酒でも飲んだ気分だ。夢心地のそんななかでもコレを現実と思えたのは多分着水の衝撃が原因だろう。
鼻からは潮の香りがただただ匂っていた。耳からは風の音しか聞こえない。視界は暗くて少ししか見えない。
どうしてコレを夢だと思ってしまったんだろうか?先にも現実を自覚したばかりだったのに。
硝煙のにおい。
妙に感覚が際立って、世界が自分の内側にあるような傲慢な思いすら芽吹いて来る。
筋肉は所々痛い。骨が無事だが足に浸かった海水は、それに匹敵する痛みを頼んでも無いのに与えてる。
恐怖は感覚を過敏にさせた。服と肌の摩擦がリアルで、今更デスゾーンに居た恐怖が沸々と。
死のにおい
走馬灯のように今までの人生が感じられた。
何より日常というものに執着する過去の自分。卑屈に周囲との調和を図ろうとする自分。
『多分俺は永遠に物語の主人公にはなれないのだろう』そう思考したのは何時のことだったか?嫌だ、まだ死にたくない。
こんな時にまでなんで俺は人生にネガティブなんだろう?泣きたくなるがとうに泣いてる。足の傷は相も変わらず痛い。
雨のにおい
とにかく逃げよう。
始めに浮かんだイメージが闘争でもなく都合のいい妄想や期待でもなく逃走だったあたりはやはり『自分』というべきだろうか?
手足を動かす。立ち上がって前に進もうとするが腰が抜けているのか力が入らない。這って逃げる様はかっこ悪くて赤面する。
漸く何か棒を使ってたちあがろうという思考にたどり着いた時にはもはや数十秒が経っていた。岩肌で足に続いて手も切ってしまった
手探りであたりを漁る。初めにあったのはヌチャリとした感覚。思い当たったのはナメコ、あるいは魚介類か?
まあ兎も角、目が闇に慣れてきて始めにぼんやりと認識したのは。
ただの肉片と化したあの化け物の感触。
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