side・『烏丸』
4
気が付いたら俺は何時も、誰も居ない街中を一人で立って居る。
町の光景を見た感想としては殺風景の一言だ。周囲にはまったく人のいないゴーストタウン。自分という存在が酷く場違いな感覚。
ただ人だけが消えたかのように街中には服が散らばり、家電店から聞こえる白黒映画の笑い声は何処か掠れていて恐怖を感じる。
何かが欠けている様な色の少ない町。それは例えるならゴシックホラー。あるいは古びたカルトか？昔見た狂人の絵を思い出させた。
オカルトで言うところの深層心理の海。ソレを連想するグロテスクなイメージ。引き釣り出された精神の内面は内臓にも似ている。
地面と空の境界線はどこまでも続き、合間にあるビル群は夕闇で朱に染められていた。光と影の強烈な落差で目がチカチカと痛い。
世界の色はその赤だけで、後は白黒、出来損ない。数十年前の映画みたいだ。色の無い世界に無理やり色を付け足したような感覚。
所々見える視界のノイズは、眠気から来る呆けというより映写機の傷のようで、どこか古めかしさと現実感の無さを感じさせた。
『また明晰夢か』
ついでそんな現実逃避が少し入った。自分の日常とかけ離れた目の前の異界。ソレから目を逸らす。
まあ思考は多分正しく『コレは夢』なんだろうけど。少し腰が引けているのは我ながら何となく情けない。
まあ寧ろ、この状況で堂々としている奴は異常だと思う。或いはフランケンシュタインばりに無神経だ。
何度見ても慣れないものなんて誰にだって一つぐらいはあるものだ。
誰が頭を覗いているわけでもないのに自己弁護をやるのも何故だろう？
先から先まで小心者っぽい。否定はしたいが否定要因が無いのが悲しい。
空に浮かぶ太陽は何故か巨大な目玉だった。向かいの家に住む犬のベンのような不潔で汚い目。
その不潔さから負の現実感を少し感じた。全体の心情から連想するのは相も変わらず非現実。
何の感情も浮かべていないように見えるソレは充血し血の涙をたらしているようにも見える。
残念だったのはその赤がひどく汚い赤だったこと。人工物で出来た染料のような毒々しさ。
自ら光を発さないはずの目玉が何故赤く輝くのだろうか？ソレが惨く不思議でたまらない。
昼なのに夜より薄暗いのは恐らくそのガラス玉のような『太陽』の安っぽさ故だろう。
昔縁日で買った透明のスーパーボールにもそれは少し似ている。赤白くてよどんだ歪な色。
「キモい光景」
姿勢は何時もの体育座り。この夢はあの回想と同じく何時もの事なので、此処からの対応もまたいつもと同じ。
まったく、いい加減勘弁してほしい。人が居ない街中というのは何処か騒がしさが恋しくなるから嫌いだ。
自分の感性が変質する感覚。ホンの少し前まで騒がしさをうっとうしいと感じていたのにどうしたものだろう？
こんな夢を見るあたり俺は潜在的なサイコなのだろうか？夢と現実とのギャップに精神異常を少し疑う。
この逝かれた世界で、一人だけ正気なのが悲しいと思ってしまった。そんな異常な感性に少しだけ悪寒。
一つ目人の村では二つ目人は化け物だそうだ。その逸話にも今なら共感できそう。異端になるのは怖い。
暗闇が広がり、視界がいつものように流動していく。影が質量を持ち立体へと変質した。
最終的に浮かび上がるのは人型の造詣。ソレが意思を持ち、小さな棺おけを愛で始める。
救いとしては夢の中なので多少の化け物や悪魔なんてのが気にならないということだけだ。
俺がただ無神経なだけかもしれないが、この非現実感なら多分誰だってそうなるだろう。
化け物は首をふくろうのように捻り、紅い目を後ろから無理やり合わせてくる。グロテスクなアルピノの目。
斜め上から覗き込んでくるような眼孔は何処か汚物を思わせた。眼光は鈍く、知性が見えない。嫌な脆弱さ。
まじかで見るとソレは性器が無いのっぺりとした気持ち悪い人型で、表情が嫌になるほどワザとらしい。
あのガラス玉のような『眼球の太陽』の所為だろうか？世界があの『安っぽさ』に引きづられているみたい。
完全にからっぽな人間がいかに恐ろしくおぞましいか、判りやすい形で見て取れる。人型って何だか不気味。
生きているのか死んでいるのか曖昧だ。目、鼻、口。そういった物に見える『穴』と人間の顔に似た配置。
死体に対して抱く『自分が何時かなるものへの恐怖』ではない。根本的なところが欠けた惨く歪な人体。
ゾンビ映画なんか比べ物にならない生々しさだ。気持ち悪い。相変わらず見えるのは血管が見えるグロい目。
視界に見える情景が写実的な世界から抽象画のような世界になっていった。変化が急激で酔いそうだ。
針金のようにペラペラとハッキリしない其の世界。視覚からの安易な感情で安っぽい風景だと少し思う。
こんな思考を持てる辺り、まだまだ自分にも余裕があるのだろう。本当に焦ったら周りなんて見えない。
化け物の笑い声が鳴り響き、周囲の色彩は徐々に濃い黒になっていく。暗がりから化け物がゾロゾロと沸いてきた。
まるで申し合わせたかのように皆が皆笑っている。それがなんだか不気味。テンポの外れた童謡を少し思い出す。
いったい何所にコレだけの数が居たのか？響くのは高い声。「で」を始めとした不気味な音声。そのエンドレス。
まるで排他的な獣。動物が威嚇をする様を何処か思い出す。感性が曖昧でよかった。恐怖が無いから幸いだ。
唐突に思い出したのは偏見からくる嫌悪感。子供の頃から恐怖する、潔癖症の根源をどこか髣髴とさせる。
気持ち悪い物の代名詞。餓鬼の頃からあった強迫観念。ゴキブリ白蟻蛆ムカデ。意味もなく嫌悪するもの。
相も変わらず声が聞こえる。もはやソレは威嚇のための音ではなく意味を持った言語になっていた。その知性が不気味さを更に煽る。
初めは纏まりもなく、はっきりしない。徐々にソレが重なり合っていくに連れ、必然的にそれが何を言っているのかも聞こえてきてしまう。
人が海で脆弱なように、本来脆弱な彼らも此処ではまるで王者だ。そんな彼らだからこそ、『ソレらしい』自己主張の曖昧な声ら。
ソレが数にあわせてだんだんと強くなっていった。今更ながら数の恐怖が湧いてくる。異質な集団。未知の具体。少数派に堕ちる恐怖。
「デ「デテイ「デテイケテ」デテイケデ」イケケデテイケ」デテイケ」イケ」
「・・・・・・・なんだよ？」
「デ「デテイ「デテイケテ」デテイケデ」イケケデテイケ」デテイケ」デテ」
理解できない『未知』こそが人の恐怖の本質らしい。昔何処かで聞いた言葉、今も頭に残っている言葉。
その言葉がふと頭に浮かんだ。そしてソレを実感で理解してしまう。コイツはそういったものの象徴だ。
其処に有るのは動物的な拒絶だけ。嫉妬や悪意というのは確かに動物的な代物だろう。理性とは真逆にある。
俺は何時もこのシーンで『生まれ損ねた何か』がこちらに嫉妬と依存をしているような、そんな複雑な感情に囚われた。
やはり俺は精神的に歪んでいるのかもしれない。奴さん方の目はさっきと同じで『がらんどう』。顔も体とまた同じく。
目や口が穴として『有り』。ただそれらの均等が表情を作り出しているだけ。表情と言うのかすらも惨く怪しいものだ。
「デ「デテイ「デテイケテ」デテイケデ」イケデテイケ」デテイ・・・・・」
ただ延々と囁くように。まるで昆虫のように無機質な挙動をエンドレス。感情の揺らぎが感じられない、そんな不気味な言動を繰り返す。
此処は俺の夢じゃなかったのか？物欲しそうに俺の手足を見つめる化け物たち。その精神が余りにも自分とかけ離れていて怖い。
自分より目下だったモノが行う反逆行為、あるいは別種による侵略。恐怖と、若干の怒りが入り混じった『現状』への強い危機感。
きっと群れ社会を形成する生物の本能なんだろう。堕ちるのは嫌だと、遺伝子レベルで体が怖がっている。此処にいたら餌にされそう。
『俺の居場所は此処に無いのか』
それがなんとなく嫌だったのでとりあえず立ち上がり前のほうへと歩みを進める。
地面が妙に硬い。白い闇に覆われた何もない暑い道路を俺は強く踏みしめた。
視界は直ぐに風景を変え、町から荒野になる。ハリボテみたいに薄っぺらい町だ。
種火として植えつけられた小さな孤独感が燃える。寂しい、拒絶の後だからか？その感情が惨く濃い。時間や距離への感覚は薄い。
一応あるにはあるのだが、一メートルが１００メートルだったり、一分が一時間だったりするあたりあんまり正確ではないのだろう。
時間を確認するため、腕時計をチラチラと確認した。針が歪で気持ち悪い悪趣味なデザイン。この悪夢に中てられたんだろうか？
短針が長針に求愛しているようにも思えたあたり、自分が判らなくなる。
短針は何処までも鈍足で何時までたっても足の速い長針に追いつけない。
周回遅れで長針に出会うことすらないあたり惨い矛盾だ。やるせない。
町の外では黒い腕が世界そのものと水平線を作りだしていた。まるで天動説を髣髴とさせる風景だ。
そこいらの木に並ぶ、件の化け物の首吊り死体。その体液を啜り、働き続けるそれら黒い腕たち。
自分達すらも分解して世界を作る其の様は、献身的なのか下劣なのか？判断が中々つかない。
代わり映えのしない不毛な荒野で、だんだんと自分の感覚が曖昧になってくる。
自分が今何所に居るのか？町からどれだけ離れたのか？そんなことが思い出せない。
判るのは自分が歩いていることだけ。ソレも視界の僅かな変化で感じ取ったものだ。
その変化の元にたどり着くまでまで、かかった時間は一分だったか？一時間だったか？
こんな簡単な判断が体感時間から判らないあたり、精神状態が少しヤバイとも言える。
『窓』
視界に残った最後の『変化』。ずっと続く地平線と、雲ひとつ無い空。画用紙に一本線を引いたような空間にある一点の黒。
そのシンプルな窓だけが徐々に視界の中で大きくなり、たどり着いたときには最早、この窓のほかに自分すらも視界には無い。
中に見えたのは俺が最後に居たあの見慣れた教室。夕日と夜の中間の日光。夢と現実の境が曖昧になるような、そんな風景。
「お送りしたのはサッチャーさんからのリクエスト『すばらしき世界』でした。さて次は・・・・・」
何時もなら白黒の都市に逆戻りするところだが、今日は少し違うようだ。漸く何時もと違う展開に、割とテンションがあがる。
夜になり、交通量は格段と増え、暗がりの町はにぎやかだ。ＢＧＭとなる隣家のラジオの所為で必要以上にソイツを感じた。
飯屋の裏から見える白い湯気が妙な生活臭を思わせる。ソレを後押しするかのように疲れた顔の労働者達が視界に入った。
米国都市の割に土地面積が狭いのか？町の情景は東京に似ている。殆ど覚えていない故郷がホンの少し懐かしくも思える。
いつもの光景だ。
ガヤガヤという繁華街の音に混じり、歪な機械音が道路から聞こえる。車の音。バイクの音。其の他エンジンの音。
ビルのネオン。不健康そうな人々の顔。あからさまにわかる愛想笑い。定食屋の換気扇から良い匂いがする時間。
眼下を行き来する一人一人の人間達。それが此処から見ると唯の点にも見えるから滑稽だ。人生が軽くも見える。
軽い頭痛で視界を下に向けると、まるで図ったようなタイミングで学校帰りの学生達が素っ頓狂な声を上げた。
普段ならゲラゲラ笑いを繰り返しているその子供達。ソレがまるで本物のバカみたいに上を見つけ続けている。
此処は俺も上を見るべきなんだろうか？展開が余りにも出来すぎていて少し悩む。そしてそのまま上を見ると。
―――天使が見えた。ホント唐突に。
いや、生き物とすら厳密にはいえないんだろう。どちらかと言えば風景に近い。
目に実際映るのは数多の曲線と直線で描かれるカルト的なホラー。そのパロディ。
実情は流動し続ける何かが偶然作り出した人型の偶像だ。宗教的意味は一切無い。
月の海がウサギに見えるとか、ナイアガラの滝がカーテンに見えるとかと同じノリ。
端的に言ってしまえばそんなもので、なんともがな中途半端に夢がない白昼夢。
「・・・・・・こんにちは」
ジョーク交じりに、軽く挨拶してみる。人型だからか？変な感じだ。人形ならそうでも無いのに。
この行動の殆どを占めるのは呆け、そして非現実感。こういうのも確か擬人化って言うんだっけ？
偶像崇拝への第一歩。コレが惨くなれば十字架がジーザスに見えることもあるらしい。理解できない。
『僕を見てくれない世界なんて空に押しつぶされて死んじゃえばいいのに』
頭の緩い中学生の時分はそんな自己顕示欲バリバリなことも考えてました。
でもね、何も夢とはいえ実現しなくてもいいんだよ。しかも巨大天使付き。
ほんと何時からだろう？自分にこんな陰湿さが備わったのは？自分でもこの暗さが嫌に成る。
餓鬼の頃からまったく消えない世界そのものへの恐怖心。自分自身に対する周囲の無感動。
ソレはまさしく正しくて、世界は自分に無関心だったのだけれども、正直今ではどうでもいい。
若干時間が経ち、いくつかの建物からスポットライトが当てられる。時間経過がやけにリアルな夢だ。この間、異変から約１分。
赤い物質の流動、何だろう？血だろうか？アレは？ライトアップされる暗い空、そして空を伝って流れる濃いブラッドレッド。
白と黒の闇に囲まれた天使は本来の色『赤』をさらけ出していて、グロテスクなイメージが湧いてくる。想像したのは血塗れだ。
真偽はともかく流血の連想は嫌悪感を呼んだ。スプラッタホラー以外の何物でもない風景。紅いものは何であろうとも大嫌い。
自然と口からため息も出る。『ああ、俺の妄想も此処まで来ちゃったか』そんなネガティブな断定。
先の太陽の所為か？紅が自分の中で狂気の代名詞になってきている。今後この偏見は消えないだろう。
紅い天使の欠片に当たる人間達。ソレがギャーギャーと叫び声をあげていて、醜い濁声が惨く不快だ。。
「五十嵐和樹だな」
こんな情景の中、ただボウっと天使に見入っていた俺は、後ろから来る誰かの台詞にただ自然と無反応。
『今度またマザーグースでも読んでみようかな』なんて、そんな意味不明の思考にも自然と陥っている。
ああ、ホントダルイ。話しかけてくんなよ。人違いですから。まあどこかで聞いたような名前だけど。
「だめだ・・・・コイツ虚脱状態ですよ」
なんだろうキョダツジョウタイ？あの天使の名前だろうか？ボケた頭で必死に考える。
何だか相当頭が悪い。コレが夢だろうが現実だろうがヤヴァイ事には代わり無い。
夢か現か幻か。思考にあったのはそんな白兎の巣穴。まるでホントにアリスの世界。
不思議の国か鏡の国かは判らんけど、不毛な思考はいい加減にしたい処だ。ホントに。
「無視して連れ行けよ。一々指示を仰ぐな」
そして、そんな威圧感の篭った三番目の言葉。ソレと同時に首に衝撃が走る。
何だろうコレ？と若干思考をするも、シナプスが迷走して脳に困惑が過った。
数秒間のノロマな思考の後、コレが痛覚だと自覚した俺は・・・・・・・・。
side・『洋子』
5
周囲の水から水素原子の配列をソ学により変更、三十二工程によるたんぱく質の再現。
L-a-アミノ酸を組み合わせ、固有の立体構造と機能を生成。人工ES細胞の細胞分裂開始。
気道、臓器、脳の成長補佐。筋肉の外部刺激開始。細胞強制成長による弊害。エラーエラーエラー。修復
オリジナルの人体生成プログラムをレプリカ生成により局地変質。肉体の最大維持時間を大幅減少。強制的にギミックを追加。
再度エラー。情報の混濁が悪化。ソ学の精密性が一部消失。プラン変更。局地変質は身体能力増大のみに変更。モデルＫＣＤ０７型。
・・・・・自分が有機物の機械だと思い知らされるような『情報』の波が漸く過ぎ去った。
自我に対する小さな認識。コレまでに貯めた偏見。メンタルアイテムと自分自身のアイデンティティ。そして過去の記憶。
それら一切が無価値だとでもいうような。無機質で、かつ『正しい』ソレ。
擬似的な子宮も私自身の生成に相当使われたのか？水の占める割合が減っている。
さっきまでの赤と白。それらの調和が記憶の中ですらも美しい。
血と肉の色。グロテスクなはずのソレも誕生をイメージさせると何処か神聖にも見えた。
今日に限って神聖さが印象強いのは先の部屋との落差が激しかったからだろう。
未だ記憶の定着と脳の機能がはっきりせず意識があやふやだ。現実と夢とが限りなく近い感覚。
ふと意識を現実に帰還させると、私が居るのはガラス張りな貯水タンク。
子宮代わりの小さな空間。新たな人工生命の揺り籠。人間というのはどうにもがな、生や死に特別な感情を抱くらしい。
死を連想させる物、孤独とやらを肌で感じ少しそう思い。同時に無理やりでも世界の生を感じようと意識を自身の外へと押しやる。
やっぱり裸は心細い。水温が気にならないのが唯一の救い。
水面をジタバタと足掻く小さな蜘蛛が妙に意識を向かわせる。
蜘蛛以外への意識がぼんやりとしている。眼前に見えるのはつくづく狭く不潔な部屋。
光は其処にまるで無く。水槽の周囲には独特の湿った空気とパイプ管がただあるのみ。
動物の気配は少ない。視界に見える小動物は蜘蛛と鼠が一匹ずつ。あとは暗がりにある何かがムズムズと。
唯一つ不快なことは一定のタイミングで回る換気扇からの風が妙に嫌なにおいを送っていた事。
水槽の中なのに何故こんな臭いを感じられるのか？それが若干不思議にもなる。
臭いのは嫌だ。特に生臭いのは大嫌いだ。戦場で一番不快なのは汚物を連想させるソレだから。
臭い臭い臭い。臭いの元は何だろう？開始早々こんな展開、ほんとに心底理不尽だ。
あのスミに居る子鼠が元凶か？あるいは近くに流れている下水道？
目の前に居る銃を持った男からという可能性もあるかもしれない。
まあ、いくらなんでも最後の推測はあの男に少し失礼だとか思・・・・・。
『敵』が発砲する直前に意識が正気に戻る。
『っ！！！何呆けてるの！？私！！』
声帯が震えたのか。あるいは『そのような気』がした。
正確にはそんな無駄な機能、この肉人形には付いていない。先の高性能な体と違い、この出来損ないでは濁声を話すのが限度だろう。
だからコレも実際には私の脳裏に声が響くといったニュアンスが一番近いと思われる。意味は脳裏で留まって外界には欠片も出ない。
思考が唐突にクリアになった。寝起きで呆けていた脳は此処で漸く銃口を向ける敵の姿に対峙し、遅ればせながら現実を正しく認識する。
発砲を受け、身を浸けていた貯水タンクから私はあわてて飛びだした。
周囲は数メートルの石柱が立ち並ぶ巨大な空洞。細かい部分は暗くてよく判らない。
不気味な施設の湿気と冷気が水にぬれた私を急激に冷やしたが、そんなことすら気にならないほどの熱が私を神経を刺激している。
恐怖と痛み。何で私はコレを『熱』と感じるのか？ソレが若干不思議。脳内物質の神秘はこの日このときにかけても顕在のご様子だ。
未完成の右腕に銃弾が貫通しそこから激痛が走った。
作り物の体でも神経はしっかり働くみたいで、不必要なまでのその痛みは私のイライラを強くする。
筋を痛めたのか？この短時間の間にも感覚は変化し、もはや痛みどころか感覚すらなくなった。
「こっちだ！！！西の第七管区！！応援を要請！！！」
狂乱の主、眼前の私の敵はトランシーバーに罵声を浴びせる。新兵だろうか？声が情けない。
怯えもあるだろうが、ここまで過剰に大声を出すあたり、威嚇のため大声を出す指示を受けていたのだろう。
どんなに訓練しても全裸で浴びる威圧と殺気は精神的に堪える。用意周到なことだ。
『やはりこっちの動きを読んでいたのか』多少クールになった頭に血をめぐらせる。
『レプリカ製造技術』
この作り物の体も初め見たときは度肝抜かれたものだが関わってみると案外使い勝手が悪いもの。
製造後短時間しか形質を維持できない上、関節部がガタガタだから物音を消すのに適していない。
その所為か？今回も敵さんに数十分で見つかってしまっている。けして万能でもない良い証拠だろう。
おそらく寝返りをうって筋肉がゴツゴツと水槽を叩いたのだ。位置発覚の予想を立てる。
現在の自身の体。コレを恨めしく思うのも今日で何度目だろうか？そこいらに関しては、もう思い出しようも無い。
ホントギリギリだった。あと一分でも目覚めるのが遅かったらと思うとぞっとする。中途半端に運がいいのは何故だろうか？
映画のような展開に未だ見ぬ神とやらに少し悪態を付きたくもなった。
毎度の事ながら何時も思うのは。隠匿されるべき技術の『間抜け』な部分の多さだ。
銃弾でさらされた戦場にもかかわらず愚痴がもれるのが否めない。
眼前に銃弾が飛来し、ソレを紙一重で避ける。衝撃は左耳を一時的に麻痺させ、アドレナリンでゾクゾクと背筋が震えた。
此処からはデスゾーンだ。それを体で知覚した時には『もう人間と豚が一人ずつ』。
人間としては豚をどう料理しよう？尊厳を最大限の残すだなんて奇麗事この戦場では通らない。ちょっと思考が子供臭い。
「っ！！」
目標はデータの確保。
米国支部開発主任『五十嵐修二』氏を探し出し、ディスクの在り処を聞き出すだけ。
口で言うのこそ簡単だが作りかけのレプリカでは何度死ねばいいのやら。多少欝だ。
作戦の裏にある理由だとか策謀とかに関しては知らされていないし、知る気もないからあえて気にしない。
ただただゴールまでの道筋を延々とシュミレートさせてみる。成功の可能性はやっぱり低い。
だんだんこの技術に関わってから碌な事が無い気さえしてきた。
つか隠匿されるべきならばこんな街中でコレ使っていいのだろうか？
そんな無駄な思考にも最近は少し飛び飛びになる。これは若干自虐な感じ。
無駄な思考を停止させ、前方を見やる。
このレプリカは本生の肉体より構造がシンプルなのでこんな簡単な動きでも目の周りの筋肉が数本それで潰れた。
一瞬だけ視点が合わなくなり、極度の近視になる。銃弾の飛来。ついでバックステップ。
さっきから今まで、ずっと攻撃は避け続けるだけ。此れは弾丸切れのタイミングで事を起こすために前準備。
横跳びを繰り返すもバランスが崩れかける。『円を描くように、かつ相手の目を慣れさせない動きで』言うだけなら簡単だが難しい。
右ひざのきしみが来なさった。『欠陥品め！！』思わず脳裏で強い罵声。
やはりこの体を好きになることは永遠に無いだろう。こういう時は外罰的にそう思わざるを得ない。
思いたくも無いのに考えてしまうのは何故だろう？この体を作った同僚の仕事に悪態付いているような気分だ。
罪悪感が心にちくり。責を感じる良心ぐらいは私にもあったらしい
脳すらも混乱しているのか？あるいはシナプスがまとまらず『寝起き』の状態なのか？
どうにも思考が一定にまとまらなかった。落ち着け、思考をリセットしよう。自分自身にそう言い聞かせる。
こういうときには脳とコンピュータとの一長一短を比べてしまう。無機物に劣等感を抱くのも貴重な体験だ。
あれ？何故だろう？妙に悲しい。その悲哀は劣等感からか？あるいはこの状況への自己憐憫か？
―――――思考をリセット。自己暗示開始。
状況確認。
位置。不明。恐らくは予定の位置とは異なるだろう。だが修正可能範囲内。敵。眼前に数１、錬度は未知数。
敵は軽装備。現象誘導系薬品数dlと小火器の武装。ただしこちらの装備が無いため攻略は困難かと軽く予想。
敵応援部隊。事前に調べた部隊全体の錬度から、到着はおおよそ１分弱と推定される。
総合としてはこの兵士の攻略および装備の奪取、不本意ながら恐らくソレが最適なんだろう。
危険。撤退をも視野にいれる必要有り。
確認時間はこの間２秒。意味の無い思考時間の穴を埋めるかのように相手の弾丸切れが来なさった。すぐさま状況を開始。
この間に間合いを減らして避けやすい位置まで即座に近づいた。三、四メートルの前身。
リロードの隙は短い、すぐさま金属のぶつかる音がする。マガジンが再装填されたようだ。
拳を振り上げた。筋肉の動きが単調な分、こういう瞬発力だけは暴力的なまでに高い。
まあこの体、あえて良点を上げるとすればコレぐらいだろう。
ハンドガンの照準を此方にあわせようとしてくる奴さん。その動きに付けあわせて、此方は水を投げ飛ばした。
イメージとしてはウォーターカッター。ただ威力は其処まで無い。
それでも敵の視界を一瞬封じるのであれば十分だろう。それを敵さんの目に当てる。
運動エネルギーは病的なスピードを作り出した。
生体パーツでよくもまあこんな動きを出せるものだと若干呆れないでもない。狙いをつける感覚も上々。
敵さんの眼球に当たった水の流動は数秒視界を確実に削り取る。奴との間に開いた距離は大体十二メートル強。
負傷した足でその距離を埋めることはこの時間では無理だ。故に私はいきなり攻撃には移行しない。
クールに。自分に言い聞かせた。自分の中にある野獣性とでも言うべきソレを無理やり押さえつける。
完全には押さえつけられなかったみたいで口の中を少し噛んでしまった。むず痒い。
「っ！！！」
敵の発砲。一瞬ひるむも第一の目的を達成するべく筋肉を無理やり動かし続ける。
戦力の差を埋める奇襲準備。ありていに言えば逃げたフリをして物陰に隠れた。
自身に付いた水滴をカムフラージュするよう、パイプを引きちぎって水を撒き散らす。コレはお約束。定型的行動。
周囲に散らばったガラスの欠片を一つ取り、ナイフへの代用。少し手が切れる。痛い。
「クソがぁぁぁぁぁ！！！！死ねやぁ！！！！」
これは敵側からの罵声。リロードの後、轟音とうなり声と共に余り正確で無い第三射があった。
敵の皮膚に血があるのがガラスの反射越しに少し見える。目の下でも切ったのか？
それならそれで幸運だ。敵の視界が少なくなる。思ったのはただ一言。ああ、本当に・・・・・。
「――――今日は気持ち悪いほどツいているわね」
「！っそこかぁ！！！」
混乱して私の声に過剰反応する馬鹿な敵。思わず冷笑。第一戦は予定以上に早く終わるかもしれない。
マジに混乱すると人間『其処かぁ！？』なんてホントに言うのね。コレは今日初めて知った。
オマケに反響音と興奮で此方の正確な位置はつかめていない御様子。
思わず漏らした大きなミスを生かせないとは、敵の無能極まる感じだ。
予想以上に莫迦らしい。その無様さに同種として認めたくなく無いほどの軽蔑を思う。
兵士の錬度が思ったより低いな。『どうなんだろう？』反面不安にも。
対象を過小評価するのは三流だが過大評価するのもまた二流だそうだ。
まあ、なんにしても此処から先、進むか否かの答えは変わりようも無い。
そこいらに落ちていた金属片を上に投げた。
コレが地面につき、チャリンと言う音を立てるのと同時に前に飛び出そう。メンタルの弱い私への自己暗示。
『こうしないと何時までも飛び出せそうにも無いから』そういったものがこの行動の一番の理由
奇襲としては正しくないんだろうがこういった無駄はどうしてもやめられない。ある種の願掛けだ。
『殺せるだろうか？』
そう思う辺り確かに自分は二流だな。自分で決定した答えが惨く不安。
技量はあるのにそういうところがやっぱり私の欠点なんだろう。
過去に何度指摘されたかも判らないその劣等な部位を強く意識する。
『勝手なことをして失望されるよりは何もしないほうがいい』そういう感情を押さえつけるのもいつもどおりの定型行動。
金属片落下まで目算で後数秒。体の力を抜きごく限りなく自然体に近くする。
これから私が戦うのは、情報どおりなら圧倒的多数の敵のはず。
ランチェスターの法則をそのままに取るならきっと勝てはしないだろうと言える。そんな物量差だ。
故に無駄な体力は使えない。イメージとしては水のような流動。
スピードで撹乱し、敵の銃口を定めさせない。そんなイメージを体内でまとめる。
――――――地面に振動が響いた。
「っふ！！！！」
肺から一気に空気を出す。
イメージの原型としては飢える畜生のソレか？あるいは爆風か、銃弾か？
より正しくは濁流のイメージ。自然の持つ一つの面にして暴力のペルソナ（表面意識）。
何者をも受け流し何者をも壊しきる。『正常であることを止めた』かのような。そんな偶像だ。
足の筋肉に力を入れる。ブチリブチリと何かが千切れる音がするがそれはこの際『気にしない』
一方へ力を向ける事。それに特化したその『肉』は、爆発的なエネルギーを生み、あらかじめ決められた動きを強制的にさせる。
壁を蹴り。その勢いを使ってピンボールのように跳ねた。
体感速度は計り知れない。こういう高速な視点だとマトモに銃器は当たらない。
故に考えられる選択肢は3つ。広範囲攻撃か。高威力攻撃か。あるいは単純に刃物を持った突進か。
装備からは言うまでも無く、私が三択目を選んだのは必然といえよう。
人間の反射神経。自身の反応をも上回る動き。
元来できないであろう正確なジグザグ運動を脳に詰め込んだアルゴリズムで無理やりやらせた。
狙うは首の頚動脈。この銃弾の跋扈する時代で生き残ってきた所以。敵視界外からの超近接戦闘と壁を使っての三次元高速移動。
かつて戦場へのＡ（アンサー）として出された先人達の知恵を。其の理論を現実化させる。
銃弾がわき腹の真横を横切った。腕の筋肉が若干切れた。
素足にガラスが突き刺さる。一発当たった銃弾が内臓を傷つけずに貫通する。ふと気が付くと体に痛みが無い。
この体の創造主たるあの同僚が遅ればせながら神経系を切ったからか？あるいは脳内物質の影響か？
痛みに犯された意識が正常に戻り、脳が全てを認識したその時には鮮血が舞い。
―――――敵の首が刈られる。
ガラスで出来た簡易ナイフを怪力で捻じ込み、骨の隙間にある神経と頚動脈を完全に分断する。動きは完全に止まったようだ。
陸に上がった魚のようにビクリと一瞬跳ねた後で失禁と吐血が略同時に。生き物から肉の塊に変わっていく。自我の終わり。
普段の私ならあまりの開放感で笑ったかもしれない。今の無機質で機械のような感性が少しだけありがたい。
『ヒューヒュー』という喉の音も当人が意識してやってるようには見えなくて、此処も思いのほか滑稽だ。
数コンマ置き、その死に体が後ろに倒れたのが起爆剤となって、ようやく緊張の糸を若干緩めた。
自己暗示終了。あの無機質な思考はどうにも慣れない。傷つけるのも傷つくのも心底震えが来るものだ。
偽りの体に入り『死なない戦争』をしているとはいえコレは変わることが多分一生無いだろう。
「・・・・・・・・・・終わったか。」
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